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沿革・理念

印刷ページ表示 更新日:2022年11月29日更新

社会福祉法人 恩賜財団 済生会の沿革

 済生会は明治44年(1911年)、医療を受けることができず困っている人々に救療の手を差しのべるようにという御趣旨の明治天皇の勅語と、その基金として下賜された御手元金150万円を元にして、時の内閣総理大臣・桂太郎を会長に創立されました。

 以来、社会・経済状態の変化に伴う紆余曲折を経ながらも、創立の精神を引き継ぎ、医療に恵まれない人々に医療サービスと福祉の増進に必要な諸事業を全国規模で行ってまいりました。

 戦後は、いち早く公的医療機関の指定を受け、昭和27年には組織を社会福祉法人に改め、今日に至っています。

 

当院の理念

 私たちは、済生の精神にもとづき、地域の人々が安心して生活できるよう保健・医療・福祉をささえます。

当院の基本方針

 1.患者さまや家族の皆さまに、やさしく、安全な医療を提供します。
 2.職員一人一人が、専門能力の研鑚に努め、質の高いチーム医療を提供します。
 3.地域中核医療機関として、救急、先進医療、および予防医療の提供に努めます。
 4.地域のがん診療連携拠点病院として、がんの診療を推進します。
 5.地域とのつながりを大切にし、他の医療機関との連携に努めます。
 6.患者さまの立場にたって、情報の開示、信頼される医療をめざします。
 7.よき医療人の育成に努め、職員が明るく安心して働ける職場環境を作ります。

 

なでしこの紋章

 初代総裁・伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王殿下は、明治45年、済生会の事業の精神を、野に咲く撫子(なでしこ)に託して次のように歌にお詠みになりました。

 

済生会今治病院シンボルマーク

「撫子の歌」

露にふす 末野の小草 いかにぞと
あさ夕かかる わがこころかな

─野の果てで、露に打たれてしおれるナデシコのように、生活に困窮し、社会の片隅で病んで伏している人はいないだろうか、いつも気にかかってしかたがない─

 

この歌にちなんで、いつの世にもその趣旨を忘れないようにと、撫子の花葉に露をあしらったものを、大正1年以来、済生会の紋章としています。